『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『好き』とか、『多様性』とか。

汗をかきすぎて卸したての服が臭くなったの悲しすぎて泣いてしまう。

 

コミックマーケット、四日間本当にお疲れ様でした。

今年は例年といろいろな点で違っていて、いくつか問題などもあったようではあったけれど、それでもなんとか平穏無事にイベントが終わった事実にまずは胸をなでおろす。私自身は今年は予算や日程の都合であまり会場を回れずサークルの店番をしている時間がほとんどだったけれど、それでも近くのサークルの方々と交流する中で普段聞けないような話を聞けたり、有名なイラストレーターさんや有名人を生で拝むことができたりと非常に充実した時間だったように感じている。一般参加でいろんなサークルを回った友人の話を聞けたのも楽しくて良かった。

しかしコミケのようなイベントに参加するたびに、世の中本当にいろいろな人間がいるものだと、そんな当たり前の事実を改めて痛感させられる。いろいろな趣味嗜好、発想、思想の人間がいると普段から頭で理解はしていても、実際にイベントで生でそういった人たちを観測するとやはり少し動揺してしまう。

コミケは何十万という数の人たちが、自分の『好き』を持ち寄り、共有する場である。その中には、たくさんの人々に受け入れられるような、普遍的でお行儀の良い『好き』もあれば、一部の人たちにだけ深く刺さるような、至極ニッチな『好き』も沢山ある。よくそんな発想に至ったなという『好き』に驚かされることもしばしばだ。

そして、そんな多様な『好き』の中には、時に別の誰かにとっての『嫌い』が含まれていることもままある。いや、むしろそんなことばっかりだ。当たり前のことである。世界中全ての人間に受け入れられるものなんて、どんなに考えても生まれたばかりの子猫の可愛さくらいしか思いつきそうも無い。私の『好き』が誰かに否定されることなんてしょっちゅうだし、逆に誰かの『好き』にちょっとした嫌悪感を覚えることだって日常茶飯事だ。だって、“私”と“貴方”は別々の思考を持って生まれた生き物なのだから。仕方のないことなのである。

コミケはそういう意味で、私たち人間が人という種族の多様性を学ぶ上で絶好の場所であるように私は感じている。『好き』と『嫌い』、人間の欲望と感情がぐるぐると渦を巻いていて、それでも終わってしまえば最高の体験として記憶に昇華されていくこのイベントは、きっと参加者一人一人の人生をより一層濃密な、濃いものに変えていくのではなかろうかと、そんな気がしてやまないのだ。

コミケが底知れぬ魅力を有している理由も、きっとそう言った部分にあるのでは無いかと、そんなことをコミケ帰りの夏の夜に、ふと考えるのである。

 

さて、次の冬のコミケに向けて、また少しずつ自分の『好き』を磨いていきたい。

 

2019.08.12 都内某所にて