『食』とか、『関心』とか。
生活費の計算している時が人生で一番頭がいいのに、お金を使う時が人生で一番馬鹿だから結局採算合わなくなって死にそうになる。そんな人生。
友人が土産に買ってきてくれたらっきょうがあったので、お米を炊いてお酒も用意して、プチらっきょうパーティを決行した。そしたらまあお酒は減る減る、ご飯は無限におかわり出来るしで、知らぬ間にすっかり出来上がったしまっていた。今は上機嫌かつちょっとした気分の悪さを抱えながら、このブログを書いている。お酒は好きだがあまり得意ではないので。
“食”はやはり生きる楽しみの一つだと思う。私の場合、普段はそんなに食事にお金をかける方ではないけれど、それでもたまには豪勢な食事を取りたくなることもあれば、美味しい食事で明日への活力をつけるような場面も多々ある。食は生活の基盤の一部であり、だからこそ質の高い食事は質の高い生活につながるのだ。
好きな食べ物を繰り返し食すというのも悪くないけれど、新しい美味と出会う体験もそれはそれで素晴らしいものだ。今まではあまり良いイメージのなかった食べ物でも、質のいいものを食することでそのイメージが覆るようなこともある。新しい食との出会いは、つまるところ新しい喜びとの邂逅でもある。そんな体験が素晴らしいものでないわけがない。
新しい美味との邂逅の機会は、やはり旅行や普段行かない場所ような場所へ足を伸ばした折に訪れることが多い。出先でふと入った小料理屋のメニューに感銘を受けたり、旅先の郷土料理に舌鼓を打つといった経験は、ただ美味しいものを食べられたという以上の喜びを感じられるし、さらなる旅へのモチベーションにも繋がるものだ。
もちろん、他の人からのお土産を通して新しい美味と出会うこともままある。普段かららっきょうは割と好きだったけれど、鳥取のらっきょうが美味しいことはあまり知らなかった。今回の友人からのお土産で、鳥取へも足を伸ばしてみたいという気持ちが強くなった気がする。食への興味は場所への興味へ少しづつ形を変え、私たちの生活をより一層充実させてくれているような気がしてくるのだ。
食への関心を、いつも大事にしていきたい。
2019.08.14 都内某所にて