『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

第80回:『やる気』とか、『行動』とか。

知らぬうちにひと月も間が空いていた。時の流れの早さにも、自身の自堕落さにも空いた口が塞がらない。マイペースといったって限度がある。

とりあえず、何はなくとも100記事までは頑張っていこうと思っているので、温かい目で気長に見守ってもらえれば嬉しい。

 

『やる気』という言葉は、一般に「何かを始めたり、継続して続けるためのモチベーション」と言ったような意味で使われることが多い。そのため、なんとなく「やる気」が先にあり、その先に「行動」があるという構造を思い浮かべがちだと思う。

「やる気が起きなくて課題に手をつけられない」「今からやろうと思ってたのに、今のでやる気なくなった」など。

けれど、実際のところ「やる気」などというものは虚構である、という記事を以前読んだことを思い出す。「やる気」という言葉は、「やる気」のない人が生み出した言い訳の言葉なのだと。

何かを始めるモチベーションである「やる気」などというものは実は存在せず、強いて「やる気」という言葉を説明しようとするなら、それは何か物事に取り組んでいるとき、それを集中して継続しようとする気概のことを言うのだそうだ。

常に何にでも積極的に取り組む人間というのは、確かにいる。「やる気に満ち溢れた人」などと表現されることも多いが、実際そういう人たちは「やる気」の如何に関わらず、「とりあえず始めてみる」というタイプの人が多いようだ。

逆に何をするにも理由やきっかけを探してしまう面倒臭がりなタイプの人は、その始めるためのきっかけに「やる気」という言葉を用いる。「やる気が起きない」「〇〇があればやる気が起きるのに」など、全部ただの言い訳なのだとか。実に耳に痛い話だ。

「やる気」などという概念は虚構で、結局どんなことでも一歩踏み出してみないことには何も始まらない。「やる気」を言い訳にする人たちは、何かを始めるハードルを勝手に高く設定しているだけなのだ。

けれどやっぱり、始めの一歩を踏み出すことは確かにカロリーのかかる行為であることは間違いない。特に、今まで何かにつけてきっかけを求めてきた人たちにとっては「行動」を起こすハードルは依然高いように感じられてしまうことだろう。

そういうときは、物事を始める前に一つ何か簡単にできる別の行為を挟んでみると良いだろう。新しいことを始める日の朝は、いつもより少し早起きして朝日をうんと浴びてみるとか、課題に取り掛かる前には携帯を置いて一度ゆっくりコーヒでもいれてみるとか。

気分を切り替えるきっかけになれば、どんな些細なことでもいい。自分の気持ちさえ少し前向きに出来ればそれでいいのだ。

人は一人一人違う生き物だ。自分の気持ちと上手に付き合っていく、自分だけの方法を見つけていきたいものである。

 

課題を始める前に、少し一服。気持ちを落ち着けたら「とりあえず」始める癖をつけていきたい。

 

2019.10.09 相変わらず都内どこかのこじんまりとした1Kにて