『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

第50回:『再起』とか、『やり直す』とか。

久し振りに本格的に声が枯れてしまった。出涸らしのお茶のような情けない声しか出ないが、そもそもそんなに話す相手もいなかった。不幸中の幸い。涙が出る。

 

さて、早速だが、10日間記事の更新を休んだことについて。

まずは謝罪。何の報告もなしにしばらく記事を休んでしまって、素直に申し訳ない。このブログを欠かさず読んでくれている数少ない友人と、何より頑張って毎日投稿しようと意気込んでいた2ヶ月前の自分への、ごめんなさい。

たしかに15、16の土日は忙しかった。やることも予定もいろいろ入っていた。けれど、じゃあ仕方ないという気持ちで、当たり前のように記事を書かず布団についた自分に気づいた時、絶望した。結局、結局何も成長していないではないか。ブログを始めて早二ヶ月、まだ一度も一週間続けて記事を書けたことはない。いや、むしろ数日頑張ったし今日は休んでもいいやって、そんなことばかり考えていた気がする。

この10日間は、自分の怠惰な気持ちや記事をしばらく休んでしまったことへの罪悪感、そういったものと向き合うための時間だった。休むことが当たり前になっていた自分へ喝を入れる期間と言ってもいいかもしれない。言い訳も何もせず、ただ何日も記事を書かず過ごす。何か理由をつけて休むことも考えたが、それではきっと意味がなかった。サボりとしてこの10日間をむざむざ過ごす。そしてそんな自分と向き合う。それが、日頃の怠惰を見て見ぬ振りをして過ごしてきた自分への罰だと思った。

妙なやる気や正義感を飼い殺してここまで来た。空虚ではりぼてな責任感と自尊心を粉々に砕くくらいのことをしなければ、きっと自分の中に育った怠惰の芽が自らの全てを飲み込むような気さえした。これは必要な罰で、処置で、治療だったんだと思う。私が、次へ向かうための。

実際、この期間に随分いろいろなことを考えた。人生に関することだったり、就活に関することだったり、もっとくだらないことだったり、もっと根源的なことだったり。長いこと記事を更新していないことに対して焦りを感じたという事実だけが、唯一の救いだった。少しは自分の中に、この営みが根付いていたのだと、そんな安堵を覚える。

さて、長々と贖罪や言い訳をしていてもしかたない。言葉ではなんとも言える。それでこの十日間の穴埋めになるわけでもない。

結局また始めることでしか、新たな決意の証明にはならない。前を向くのは誰でもできる。そこから一歩を踏み出して初めて、これが再起だと胸を張って言えよう。

 

また、最初からくらいのつもりで。一つずつ積み上げたい。

 

2019.06.25 都内某所にて