『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『ラジオ』とか、『音楽』とか。

家に牛乳があったのに間違って新しい牛乳を買ってしまって、冷蔵庫に牛乳パックが二本並んでしまった。これはこれでレオンみがあって悪くない。まあ、牛乳なんていくらでも飲むしな。出費における飲み物代の割合が結構大きいどうも私である。

 

最近YouTubeをダラダラと見ながら、これ別に音声だけでいいなと気付いて作業のお供にする機会が増えた。皿を洗ったり、部屋を清掃したり、そういう作業はラジオ感覚でYouTubeを垂れ流しながらやるに限る。もちろん普通のラジオでもいい。手は動かしていても耳は手隙ならぬ耳隙なので、そんなときは作業用BGMの存在がありがたい。

中学生の頃は、好きでよくラジオを聞いていた。夜更けの勉強のお供に、机上のオーディオからの音に耳を傾けていたのはいい思い出だ。結局ラジオに気を取られて勉強に手がつかなくなるところまで含めてご愛嬌という感じだった。

今でも電車やバスの移動時間に、携帯でラジオを聴くことが多い。音楽を聴くのもいいが、人の話というのは笑えることもあれば勉強になることもあり、なかなか飽きることなく聴いていられる。やはりラジオは面白い。

しかし、ラジオを流しながら作業をするのと音楽を流しながら作業をするのは、似ているようで実は全然違う行為である。ラジオの音声はつまるところ人の声で、会話で、文章だ。その文章を理解するためには、脳のキャパシティの多くを使わなければならない。別に思考を要求される作業に対し、やはり思考を要求されるラジオなどの聴取は向かないように思う。さっきの勉強がいい例だ。勉強をしながらラジオを聴くなんて、結局どっちつかずになっている様子がありありと想像できる。そういうときはせめて音楽などのBGMにした方が、パフォーマンスも向上するというものだろう。

逆に、あまり細かな思考が必要でない作業であれば積極的にラジオやオーディオブックなどを利用していきたいものだ。公共交通機関での移動中、家事炊事などの作業中、ランニングやトレーニングなどの最中。ラジオの話題が何か人生観を変える大きな出会いにつながることだってあるかもしれない。言葉の力はやはり偉大である。

 

ラジオに音楽に、上手に付き合っていきたいものだ。

 

2019.06.14そこそこ過ぎ 都内某所にて