『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『年の瀬』とか、『これからの時間』とか。

年の瀬である。

 

もう数時間で年が明ける。家族でテレビを見ながら蕎麦を啜るっている人もいれば、悲しいかな仕事場で年越しを待っている人もいることだろう。かくいう私はといえば、地元へ帰省する飛行機の中でこの記事を書いている。

機内誌を読み込むのにも飽きて、そういえば10月頭に更新して以降、まともに触れてもいなかったこの備忘録のことを思い出した。飽きた、サボっていたと言われればもうぐうの音も出ない程その通りなのではあるが、それでも以前は毎日のように(当社比)更新していたブログでもあることだし、2019年のうちにもう一度くらい更新しておこうと思って記事を書き始めた次第である。

さて、年内最後のブログではあるが、特に今年振り返って面白いような思い出とか、気の利いた話の一つも思いつかないので、てきとうに書いていく。

大学が関東、地元が九州にあると、こうやって年に数回飛行機に揺られる時間ができる。新幹線などでも一応帰れることには帰れるが、時間も料金も飛行機よりよっぽど嵩んでしまう。東京ー熊本間は一時間半しないくらいの短い旅だ。1200kmほどの距離があって、映画の一本も満足に見ることができない。居眠りなんてしようものなら冗談でなく一瞬だ。飛行機というもののおかげで、東京と熊本は『あっという間』の距離感になった。

けれど、気を抜いたら一瞬、なんて何にでも言えることかもしれない。時の流れる早さは、飛行機なんか比べ物にならないほど、早い。

現に、うかうかしていたら2019年ももう残すところあとわずかだ。あっという間に2020年が来る。就活も、GWコミケも、オリンピックもあっという間にやってくる。あれだけの時間があったはずなのに、あれだけの猶予があったはずなのに、果たして私は、私たちは、どれだけのことを為し得ただろうか。

振り返れば、いつも後悔ばかりしている気がする。もっとああ出来たのに、こう出来たのに、とか。私たちの後ろには、いつももっとうまく出来たかもしれない“あの時”がうず高く積み重なっている。2019年も、たくさんの“あの時“を積み重ねた。もう省みることしかできないガラス越しの”あの時“を、私はどれだけ惨めったらしく振り返っただろうか。

けれど、月並みな言葉だけれど、時間は後ろには進まない。2019年は、やがて過去になる。楽しかった”あの時“も、悔しかった”あの時“も、もっとうまく使えたかもしれない”あの時“も、もう帰ってはこない。私たちにはもう2020年と、その後に続く茫漠とした時間しか残されてはいない。

だからこそ、馬鹿みたいに前向きに行こう。今できること、今からできることを大切にしよう。

時間は確かにあっという間に過ぎて行く。けれど、それに合わせて自分も少しずつ進んでいけばいい。飛行機ほど速くなくていいし、寄り道したっていい。けれど、愚直に、一歩ずつ、前に進んでいけばいいなと、そう思う。2020年の豊富だ。

 

今年一年、御世話になりました。

来年も、どうぞよろしく。

 

2019.12.31 九州へ向かう飛行機の機内にて、2019年最後の時間を噛みしめながら