『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『世間』とか、『私』とか。  

私がblogの更新を止めていたこの一年半の間に、世間は随分と様変わりした。

 

新型コロナウィルスの蔓延に伴い人と人の交流は断たれ、施設は閉鎖•休業を迫られ、外出時はマスクやアルコール消毒で文字通り息苦しい生活を強いられている。仕方のないことだとは思う。今は何よりも感染収束に向けて一人一人が踏ん張らねばならない時だ。けれど理解や納得に、必ずしも感情が伴う訳ではない。みんな、ちょっとずつしんどい想いを抱えている。

 

そんな中で私自身を振り返ってみると、それはもう、笑ってしまうくらい何も変わっていない。

慢心と惰性を原動力に怠惰なワルツを踊るだけの毎日。“新鮮”、“進歩”、そうした言葉をどこかの立派な自己啓発本のタイトルとして知ってはいても、その中身を改めようとしてきたことは、ついぞなかった。

きっとこんなに大変な中でも何も変わらなかったのだから、これ以上を望むことなんて多分、今後一生出来ないのだろうと、そんな寂しげな諦観が私の膝下までを濡らしている。必要な環境下ですら進化してこれなかった生き物が、その後どのような顛末を辿るのかなんて、地球46億年の歴史が一番よく知っている。

まあ何が一番ダメかって、こうした現状をきちんと認識しておきながら、特に新たな行動を起こそうとしていないところだとは思うのだが。

 

コロナ禍、大学卒業、就職、人生の色々が私の中を通過して行くのに、私自身はまだ、何もない場所で足踏みを続けている。

24歳の、初夏には少し早い5月の終わり。

少しづつ、変わっていけると、信じて、また、一歩ずつ。

 

さて、久しぶりにこうしてブログを再開した理由については触れていなかった。まあぶっちゃけてしまえば、『何となく』である。あまり深い理由はない。よく行く定食屋に行って、「久しぶりにこのアジフライ定食食いたいな」と思う程度のカジュアルさである。救いようがない。

まあ強いて理由を挙げるのであれば、それは『今までの自分を後悔しなくていいようにするため』であろうか。人に比べて本当に怠惰な人生を送ってきた。まともに取り組んだことなんて数えるほどしかない。けれど、だからこそ、今までやってきたことにくらい、自信を持っていたいものだ。少なくとも、何かが得られると信じて頑張ってブログを更新していたあの頃の自分を否定しないために、こうしてもう一度ブログを書き始めてみることにした、という次第である。

諸事情で就業がひと月遅れてしまったが、無事この5月から仕事も始まり、なんとかそれなりに慌しい生活を送らせてもらっている。このブログもよくて週一投稿程度にはなってしまうかもしれないが、まあないよりマシということで。

 

またのんびりお付き合いいただければ幸いである。

 

2021.05.24 都内某所にて