『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『実家』とか、『頑張り』とか。

久々の東京の家は、ほかの誰にも気を使わなくていいのでのびのび出来て良い。ただ、ご飯が少し味気ないような気がするのはなんとも。一人というのも良し悪しである。

 

昨日の昼ごろ、ANAの飛行機に二時間ほど揺られ、ようやっと東京に戻ってきた。長々と電車に揺られていると、嫌でも自分は今関東にいるんだなぁと実感させられる。9月半ばにもう一度九州に戻る用事があるが、とりあえずまた三週間ほどこちらで生活を送らねばならない。

結局、地元にいた十日間はあまり生産的とは言えない時間だった。もちろん、楽しくなかったわけでは決してない。久しぶりに会う友人たちとは有意義な時間を過ごすことができたし、家族や親戚にも元気な顔を見せることができた。十日は少し長いかと思っていたけれど、過ぎて見れば本当にあっという間だった。

しかし、それにしたって振り返ってみると実家では本当に何もしていない。コツコツやろうと思って持っていった参考書にはほとんど手をつけられなかったし、このブログの更新頻度も明らかに低かった。パソコンなんて持っていったきり開きすらしなかったし、なんとまあ自堕落なことだろう。情けなくてため息しか出ない。

本当に、実家にいると何も捗らなくなるあの現象は一体何なのだろうか。妙な安心感というか、何もしなくても実家の手伝いさえしていれば許されるような空気感。いかに締まりのない10代を過ごしてきたのか改めて痛感させられてしまう。

家族仲は割といい方だと思う。親戚とも比較的密な関係を維持しているし、家柄には恵まれている方だと思う。けれど、その空気感に自分はいつまでも甘えているのかもしれないと、そういうふうにも感じる。

あの場所は、私がこれまで育ってきた場所で、私のこれまでの成長の思い出がたくさん詰まっている場所だ。そこには大勢に胸を張れるような軌跡もあったと思うし、一方で決して人前では大手を振って語れないような情けない記録もたくさんあった。けれど、その全てをあの場所は受け入れてくれたし、許容してくれた。あそこは私の成長、私の『過程』を受け入れてくれる場所なのだと、そう思う。

もちろんたくさん叱られたし、心配されたし、迷惑もかけた。今だって決して一人前の男として100%信頼されているなんてことは全然ないと思う。けれど、あそこは“私”が“私”であるというだけで肯定してくれる、そんな場所なのだ。

だからこそ、あそこにいてはダメなのだと思う。周囲がどうこうではない。私がダメになる。性根のところで腑抜けた甘えん坊なのだ、私は。

今は大学進学とともに上京し、ここにいる。多分就職も関東近辺でになるだろう。

私はなにかを為すためにここにいるのだ。自分を甘やかせない、この場所に。そのことを、改めて意識する。もちろん自分が一人前などとは微塵も思っていない。今でもいろんな人にたくさんお世話になっている。でも、だからこそ、あの居心地のいい実家を離れて、はるばる数百kmも離れたここ関東に来させてもらっている成果を、少しでも形にしていきたいものだ。

 

今日も、この場所で、私に出来ることを、また一つづつ重ねていこう。

 

2019.08.27 都内某所にて