『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『引越し』とか、『クリスマス』とか。

「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された」

               横光利一『頭ならびに腹』

 

特急に黙殺されることの多い京王線沿線の小駅に、二ヶ月ほど前に引っ越した。小さな公園の側、近所には趣のある寿司屋と小洒落たカレー屋。花はないがそれなりに住みやすい街である。引越し時の段ボール箱は依然、数箱ほど片付いていない。このあたりはまあ、いつもの私であるわけで。

 

半年ぶりの更新となる。

相変わらず、目まぐるしいようでいて、その本質はあまり変化のない、のんべんだらりとした時間を過ごしている。気づけば、2021年ももうやがて暮れようというところまで来てしまった。

就職して半年とちょっと。仕事に忙殺されるわけでもなく、それでいて、それ以外でさして有意義な時間を過ごすわけでもなく、実に無為むいっとした7ヶ月を過ごした。学生の頃、「絶対にこうはなりたくはない」と考えていた冴えないサラリーマン像を、さして絶望感に浸るでもなく淡々と演じている。これが『生きる』ということなのだという、ほんのりとした諦観だけが、今も胸の内でくすぶっている。

来年は、もう少しだけ無為な人生に抗う。

これを来年の抱負としてここに掲げておく。まあ、例年同じようなことを言っているような気もするけれど。

 

数日前はクリスマスであった。

今年も想い人と聖夜を過ごすといった素敵なご縁には特に恵まれなかったので、一人多摩センターのクリスマスイルミネーションを見に行き、帰りに丸善谷川俊太郎の詩集を購入して帰路に着いた。

 

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2021年12月25日 多摩センター駅 パルテノン大通りにて

 

詩集を読みながら、そういえば実家にいた頃、我が家では毎年サンタさんから本をもらうのが通例だったなと、そんなことをふと思い出す。

我が家のサンタさんはずいぶん気前の良い人物で、いつも欲しいものとは別に、小難しそうな本を一緒にプレゼントしてくれていた。中学一年の時は本命のプレゼントのそばに『塩狩峠』(新潮文庫)がそっと添えられていたし、最後にサンタさんが来てくれた高二の冬には、可愛らしい包装のなかに『ピュリツァー賞受賞写真全記録』だけが静かに鎮座していた。(この頃には既にプレゼントらしいプレゼントをもらうこともなくなっていたので、イエス・キリストの生誕祭の朝に私は一人、戦争や紛争の恐ろしさを学ぶことになった)

サンタに願いを託すことは多いが、サンタに願いを託されることもときにはあるのだなと、そんな学びを得た記憶がある。

サンタの祝福を受けなくなってもうそれなりになるが、未だに聖夜に文章を読み漁っているところを見るに、今でもサンタの願いは私の中でしっかりと息づいているようだ。少し不本意な形ではあるが。

サンタさん俺こんなんなる思わんかったわ。

 

年末年始は、様々な形でものの贈与が行われる。

クリスマスプレゼント、お歳暮、年賀状、お年玉......などなど、数えればきりがない。その一つ一つに想いや願い、祈りのようなものが込められていると考えるなら、この年末年始という時節は、実にロマンチックな時期ということになるのではないだろうか。

冬の寒空の下、たくさんの想いが行き交う季節。願いが飛び交う期間。祈りが往き交う時間。

その温かさを感じながら、私も新しい年を迎えようと思う。いつかサンタにもらった祈りのように、誰かを想うことを忘れずに。

 

本年もお世話になりました。来年もどうぞよろしく。

 

2021.12.29 都内某所にて