『好き』とか、『熱意』とか。
また少し投稿があいてしまったが忙しい時期なので何卒ご容赦を。
課題、日課、テストの準備...etc
やらなければならないことは多いが、一つ一つ丁寧にこなしていきたい。
先日、今年ボードゲームの会社に就職した先輩が顔を見せてくれた。
その際、現在先輩が個人で制作中だというカードゲームを持ってきて試遊させてくれたのだが、システム面など非常にクオリティが高く、時間を忘れて楽しくプレイさせてもらった。ちなみに途中までは非常に調子よくプレイしていたのだが、終盤で一緒にプレイしていた後輩たちから結託してボコされ、最後はぐうの音も出ないほどの最下位に落ち着いた。絶対に許さない。
試遊ということで、先輩はプレイ中も僕らプレイヤーからの意見を積極的に募り、システム面などのさらなる改善を考えていて側で見ていてその熱意に驚かされた。普段は割とちゃらんぽらんなイメージのある先輩だったが、こう言った好きなことに対する情熱は本当に見習いたいところがある。
『好き』に全力を出せる人間を、私は尊敬している。
好きなことは、たしかに私たちの生きる理由で、原動力だ。しかしだからといって、好きに自らのあらゆるものを捧げられるかと問われれば、思わず思い悩むという人もいることだろう。かく言う私がそう言ったタイプで、どんなに好きなものを目の前にしても、ついかかる労力やコスト、保身などを先に考えてしまう。情けない話、“好き“の熱量よりも自分の身を優先してしまうのだ。
しかし、世の中には、確かにいる。周囲から見たらなんだか馬鹿らしく見えるほど、自分の“好き”に一生懸命な人間が。彼らは自分の“好き”に金を惜しまず、時間を惜しまず、労力を惜しまない。好きのために身を粉にして働き、寝る間も惜しんで時間を注ぎ、休日の貴重な時間すら費やすことを厭わない。そういった人間の人生は、どれだけ輝いているのだろう。
好きの熱量で、何か創作物を作ったり、記録を残したり、プロと見まごうスキルを体得したりと、好きに一生懸命な人は本当にカッコいい。それは“好き”を自らの最上に据えているからこそ、出来ることだ。そうまでいかなくても、身銭を切って、心血を注いで”好き“に向き合う人間を、笑う資格のある人間などいないのだ。
何かに傾ける、その情熱を大切に。
2019.07.16 都内某所にて