『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『世界観』とか、『魅力』とか。

ついこの間大量のアイスを買い足したばかりだと思っていたのに、気がつけば冷凍庫の中が空になっていた。仕方がないのでセブンに買いに出たのだが、今度は最近お気に入りだった練乳のアイスがなくなっているではないか。

世の中ままならないものである。うん、ていうかアイス食べ過ぎな。

 

月末は幾分か金の回りが良くなるので、新しいゲームソフトを購入することが多い。

今月も新しくあれやこれやと新しいタイトルに手を出してみているのだが、どのゲームも本当によく作り込まれていて、毎度毎度新鮮な体験ができる。

面白いゲームの定義は人それぞれ異なるものだと思うけれど、少なくとも世界観が素敵であるということは、ゲームを楽しむ上で重要な要素の一つであることは間違いないだろう。最近買ったゲームも、ファイナルフェスこそ終わったがいまだ人気の某イカゲーだったり、地下世界を探検するダークファンタジーだったり、仲間と友情を深めながら目的を達成していくほのぼのファンタジーであったりと、その世界観は作品によって本当にマチマチだ。

ゲームに限らず、映画であったり本であったり、魅力的な世界観というのはそれだけで人々を惹きつけるものだ。そして昔から好きであれこれ物語を考えてきた身だからこそ、それを作り上げることがどれだけすごいことか、ある程度想像できてしまう。

新しい世界観を作り上げるというのは、つまり新しい世界を作るということとあまり大差がない。それは神になって、あらゆる部分に齟齬のない、完璧かつ魅力的な世界を創造するということだ。世界の細部細部、物語の隅々まで考えられて作り込まれた世界観というものは、何より説得力がある。そしてその説得力が物語に深みを与え、人々が面白いと思う魅力を醸成するのだ。

世界を作るとは、つまり歴史を考え、政治を考え、経済を考え、人間を考え、その世界に関わるあらゆる事象を一から考えるという途方も無い作業である。そのどれだけ大変で、尊い作業であることだろうか。

素敵な世界観、凝った世界観の作品というものは、それだけ時間と労力のかかった創作物であるということを忘れてはならない。だからこそ面白いゲームというものには、それだけ敬意を持って接せねばならない気がしてくるのだ。

 

今日も今日とて、素敵な世界と出会うために、私はゲーム機を起動するのだ。

 

2019.07.29そこそこ過ぎ 都内某所にて