『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『発表』とか、『敬意』とか。

本日東京ビッグサイトにて大規模なインターンイベントが行われていたのだが、当方別のイベントと予定モロ被りしていたので泣く泣くインターンイベントを欠席。圧倒的社会不適合者っぷりを見せつけてしまった。

お金払ってるからね、仕方ないね。

 

そんなわけで今日、東京駅付近であるイベントに参加してきた。

二時間ほどの公演だったのだが本当にあっという間で、楽しい時間を過ごすことができた。セットや公演内容、演出や演者のトークなどもいろいろと凝っていて、入念に準備がされてきたことが伺えた。観客もみな楽しそうで、こんな良い公演にこうやって参加できたことを嬉しく感じた。インターンイベントは残念だったが、そっちはそっちで個人で情報収集していこう。

大勢の前で何かの成果を発表する場、というのは誰の人生にもあるものだと思う。規模の大小、頻度の多い少ないはあるだろうが、余程人との関係を断絶していない限りは必ずどこかで経験する出来事だ。

私もかつてはピアノの習い事や部活で演劇などをやっていたので、人前で何かを発表する機会というのはいくつか思い出深いものもある。特段習い事や部活をやっていなくても、学校での行事や会社での企画のコンペティションなどであれば、思い当たるフシのある人も多いだろう。準備で苦労した経験のある人も、結構いるのではないだろうか。

しかしながら、昔はこういった発表の場を、随分と非効率的で無駄なものに感じていた時期もある。たった数分、数十分のために何時間、何十時間も準備をするという行為が、なんだかひどく滑稽なことに思えていたのだ。

確かに、何かを発表するという行為には、それを準備する時間が発表にかける時間の何倍、何十倍も必要になる。今日の公演だって、二時間の公演のために演者やスタッフさんたちがどれだけの時間をかけてきたのか想像もつかない。企画運営、広報や設営など様々な過程を経て初めてイベントが成り立つのだ。多くの人の並々ならぬ尽力があったに違いない。

しかし、それが自分でない誰かの時間をお借りする、ということなのかもしれない。「誰かに何かを見てもらう」ということは、「誰かの時間を自分や自分たちのために使ってもらう」ということである。人間の時間は有限だ。決して無尽蔵にあるものではない。それを自分たちのために使ってもらうのだから、そこには最大限の敬意と配慮が必要である。無下にしていいものではない。常に完全完璧を提供して、ああこのために時間を使ってよかったと相手に思ってもらうことが、相手に対する礼儀であるし、少なくともそのように努める必要がある。誰かの時間をいただくというのは、とどのつまりそういうことなのだ。

まあイベントや公演であればお金が関わってくる場合が多くなるし、そうなってくるとまた少し話が変わってくるのだが、それにしたってその本質は変わらない。特に観客の人数が多い場合なんて、なおのこと。沢山の人の時間を預かっているのだ。発表の場に集ってくれる全ての人への礼儀を欠かすことはできない。

別に、何かを発表する場合に限った話でもないかもしれない。誰かとの約束、誰かと過ごす時間。対等な関係の相手であっても、ときには共に時間を過ごしてくれることへの敬意や配慮があってもいい。自分の時間も相手の時間も有限なのだ。それを自分のために使ってくれることの、なんとありがたいことか。

 

今日も明日も、自分のために時間を使ってくれる人々へ、敬意を。

 

2019.06.02 都内某所にて