『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『衣服』とか、『外見』とか。

ものぐさな性格なので、季節に合わせた服装を選ぶと言うのがすごぶる苦手というか、面倒に感じてしまう方だ。

 

昨日の記事にも書いたことだが、ここ最近気候の変化が激しい。ゴールデンウィークも明けて少しは寒暖の差も落ち着いてきたけれど、今度はどんどん暑くなっていくことを考えると気が滅入って仕方ない。とかく人の世は住みにくい。

とくに面倒なのが、季節ごとに戸棚の奥から仕舞い込んでいた衣服を出してくる作業だ。いや、うちは戸棚というか部屋の隅の段ボールの中からなのだが、それは置いておいて。

中高の頃などは、本当にオシャレというものに関心がなかった。いつも母親に選んでもらったシャツに袖を通し、どれも似たようなポケットの多い黒のズボンを履いていた。別に母親の服のセンスが悪かったとかそういうわけではないけれど、私自身とにかく無難な服ばかり選んで着ていたので、若者らしいフレッシュさには欠けていたと思う。端的に言えば私に服のセンスがなかった。絶望的なくらい。

仲の良かった友人に服をプレゼントされたこともあったが、彼の好みのパンクロックテイストの服は当時の私にはどうしてもハードルが高く、申し訳ないと思いつつも数回着た程度でクローゼットの肥やしになってしまった。付属していたチェーンのアクセサリーは今でもたまに使わせてもらってはいるが。

少しは服に気を遣い始めたのは、多分高校を卒業してからだ。周りに比べても、本当に申し訳程度に、と言うだけだけれども。やはり制服は偉大だったなと、六年間袖を通し続けた詰襟が恋しくなった。毎日毎日衣装を選ぶのが億劫で、結局似た服を着まわしてしまう。その点では、中高の頃から何も成長していない。

「清潔感のある身嗜み」とみんな一口に言うけれど、これが結構難しい。季節感のある小綺麗な衣装を身に纏うのは当然として、他にもスキンケアや毛の処理、においや化粧品、加えて男なら適度な筋肉と気を配るべきポイントはいくらでもある。オシャレに気を遣えるということがどれだけすごいことか、改めて痛感する。寝癖を整えるので精一杯だった高校生の私にとっては、雲の上のような話だった。

やはりこれも、日頃どれだけ意識しているかがものをいう。服だって今日思い立ってあれこれ揃えると言うのは、やはり金銭がかかると言うこともあり現実的ではない。それに、少し揃えたところで時期が過ぎればすぐ着れなくなる。定期的に買い揃えるからこそ、服の組み合わせや季節感、トレンドを意識した格好をすることができるのだ。雑誌に載ってた格好一つ揃えても、いつまでも着回すことが出来るわけではないし。

結局これも、積み重ね。世の中のことなんて大体がそうだ。一朝一夕でどうにかなるものなんて、所詮一朝一夕で手放せるようなものだけなのだ。

 

そろそろ夏に着る服を考え始めないとなぁ。

 

2019.05.08 都内某所にて