『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『機器』とか、『利便』とか。

iPadを買った。こいつはすごい。

 

元々使っていたスマホの容量がカツカツだったのでスマホの補助くらいのつもりで買ったのだが、実に浅はかだった。インターネットなどのデジタルな活動が楽になるだろうな、程度の認識だったことが本当にお恥ずかしい。

これひとつで勉強も読書も執筆もスマホなどの比較にならないほど効率的になった。それでいてノートパソコンよりずっと気軽に使えて、スペックだって劣らない。文字通り革命的だ。私の生活に革命が起きた。この記事だってiPadでウキウキ気分で書いている。

先月末は平成を振り返る、という名目でいろいろな番組が放送されていた。中でも平成史における技術やガジェットの進化に触れているものが多かったのが印象的だった。平成の真っ只中で生まれた身としては、テレビやインターネットの存在はもはや小さい頃から身近で当たり前のものではあったけれど、よくよく思い返してみれば一番古い記憶のテレビはまだ箱型で4:3のアス比だったし、インターネットだってフラッシュサイトで赤い部屋なんかを見てブルブル震えていたような気がする。今だと全然考えられないようなものにキラキラした目線を注いでいたものだ。そう考えると、本当に目まぐるしく、刺激的な時代を生きているという自覚も湧いてくる。

コードの打ち込みで操作していた過去のパソコンに比べて、アイコンとクリックやタップといった直感的な動きを取り入れた今のパソコンやスマホは本当に進歩したと、前に父が満足げに語っていたのを覚えている。電子時代の黎明期を生きてきた父の目には、今の時代は一体どのように映っているのだろうか。

しかし、便利すぎるというのも少し考えものだ。今までなくても困らなかったものでも、一度その味を知ってしまえば最後、もうなかった頃に戻ることなんて出来ない。パソコンがそうで、スマホがそうで、多分このiPadもそうなっていくのだろう。買って数日で、既にこの薄い板状の電子端末は私の生活にすっかり溶け込んでしまった。

利便さは人の営みを豊かにする一方で、人の心を縛る鎖でもある。人はガジェットを使いこなしていると思い込んでいるだけで、その実ガジェットに依存し支配されている。今日も何時間この端末に触れていたかわからない。

便利なことはいいことだ。けれど、あくまでガジェットは人が扱う道具に過ぎないことを忘れないようにしたい。必要なときに必要なだけ使う。これがなによりも大事なことだ。

 

便利なものほど、距離感を考えて生きていかなけれなば。

 

2019.05.10 都内某所にて