『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『人のため』とか、『自分のため』とか。

三日月と星の綺麗な、良い夜だ。

 

自分のために何かをすると言うのがすごく苦手だ。

20と数年生きて、結局その苦手意識は減るどころかどんどん増していった。

自分のことのために時間を作ったり、自分のために努力をしたりするようなことが、どうしても上手くできない。みんなどうしてそんなに上手くやれるのか、不思議で仕方ない。

自分のために何かをする、というのは、結局その結果を得るのも自分自身だけ。自分一人が妥協してしまえば、それ以上誰もその行為を強制する人間というのはいなくなる。それはとても自由なことだけれども、それだけ難しいことのように感じる。自分のために頑張るというのは、途方もなく孤独な行為だ。寒気がする。

逆に、人のために何かをする、というのは分かりやすくていい。人のための行為には、「感謝」という明確なリターンがある。何より「その行動をした」ということが一番肝心で、結果の如何などは必ずしも重要ではない。何かをしてもらった人と、何かをしてあげてそんな自分に酔いしれている人。一見Win-Winで隙がない、しかし偽善と欺瞞に満ちた関係がそこにはある。

私も人のために何かをするのが好きだ。両親の教育とか、生まれ育った環境とか、そういったものが関係しているとは思うけれど、それをさしい引いてもそういった行為が好きだ。求められて甘えられて、そんな自分にきっと酔っているのだと思う。反吐がでる。人のために自分の時間を浪費して、でも人のためだから仕方がないと、いつも自分に言い訳をしている。

別に、自己犠牲を何よりの美徳にしているとか、そんな大層な話ではない。むしろその逆で、他者を自分の怠惰の言い訳に使っているのだから、自己中もいいところだ。自分のために他者に優しくして、それで感謝されて悦に浸りの繰り返し。こんなものは麻薬だ。自分を蝕む甘やかな毒だ。分かっている。

誰かのために行動するのは決して悪いことではない。けれど、私たちの人生は究極的に自分自身のためにあるべきだ。誰かのためになんて馬鹿らしい。これは私たちだけの人生だ。

 

自分のために、明日も生きねば。

 

2019.05.09 都内某所にて