『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『不安』とか、『それでも』とか。

試験期間が始まって、慌ただしい時間の中に小さな充足感がある。人間やっぱり、少し忙しいくらいの方が心身ともに健全だ。一人部屋で鬱々と考え事をしている時間ほど、非生産的なものはない。

 

また数日、投稿があいてしまった。

最近気持ちの沈むような事件ばかりで、ここ数日は少し気が滅入ってしまっていたようだ。放火、傷害事件、不祥事、政治不信、マスコミ不信。何が信じられて、何が間違っているのか。ニュースやSNSを見るたびに、気持ちがざわつく。

そういったいろいろな感情を素直に文字におこそうと試みもしたが、なかなか思うように形に出来ず、それでまたストレスが溜まるといった悪循環にここ数日は悩まされていたように思う。

世界の歪んだあり方に絶望して、先の見えない恐怖に押しつぶされ、一人膝を抱えて震える日々。なんだか勝手に世界の全てに否定されたような気すらした。

昨日なんて特に苦しかった。中学生の頃、死後のことを思って震えて夜も眠れなかったあの頃のような、漠然とした不安に押しつぶされて息もできなくなるような感覚。腹のなかの臓物を、悪魔にキュッと握られるような感じ。悪魔は人間の顔をしていて、虚ろな目でただこちらを見るのだ。

そんな時私の頭をよぎったのは、ある言葉。数年前に見ていたテレビアニメで、登場人物が唱えていた魔法の言葉。

「絶望と、仲良く。」

どんなに暗い出来事があっても、どんなに悲しい事実があっても、ただ底抜けに明るく、呆れるくらい前向きに生きていけるのが、人間って生き物だ。勝手に絶望なんて名前をつけたそれは、けれど他の人から見ればほんの些細なことかもしれない。暗い事件があって、それでも自分は生きていけるからと、割り切って顔を上げる人もいるかもしれない。私が勝手に弱気になっている横で、それでも確かに笑って前を向いている人たちがたくさんいる。私ばかり被害者ヅラで震えているわけにはいかない。

この世は確かに悲しいこと、クソッタレなことでいっぱいだ。それはもう、割り切るしかないくらいどうしようもない事実で。

けれど、人間は絶望と仲良く出来る生き物だ。少なくとも、辛い中でも前を向ける機能を持っている生物だ。笑えるくらい悲しいことがあって、呆れるくらい腹の立つことがあって、それでもと言い続けられる生命だ。少なくとも、私はそういうふうに教えられて生きてきた。

だから、信じて前を向こう。自分に何が出来るか考えよう。思考を止めてはいけない。歩みを止めてはダメだ。その停滞は、何も生み出しやしないのだから。

 

辛い時こそ笑顔でどうぞ。

 

2019.07.24 都内某所にて