『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『無駄』とか、『余裕』とか。

分厚い本とかって買うだけで満足しちゃったりするよね。そして積ん読へーーー。

 

今日は一日バイトだったのだが、本当にやることがなくて数時間ただぼーっとしているだけだった。

こんなことなら店頭に顔のいいマネキンでも置いてた方が良かったのではなかろうか。給料もらってる側が文句を言うのも変な話だが。

お客さんが来た時のために人がいなければならないのは分かるけれど、それにしたって人が来ないと本当に意味がない。特に雨脚も強い平日の昼間なんて一人二人スタッフが待機しとけば十分な気もするのだが。

何をするにつけても、余裕や余剰は大事だ。集団で仕事をする時でも、個人でスケジュールを建てる時でも、そこがあるとないとで、全体の柔軟性は大きく違ってくる。余地を残すと言うか、何か別の事に割けるキャパシティを常に確保しておくと言うことが、いざという時に明暗を分けることも多々ある。

しかし、意味のないゆとりはただの無駄である。“いざ”という時というのは、あくまで緊急の場合。急なアクシデントにも対応できるようにという話であり、アクシデントとはいつもいつでも起こるというものではない。アクシデントが起こらない時、そのゆとりは結局もったいない余剰となってしまう事だってある。いや、むしろそう言った場合の方が多いかもしれない。

だからこそ、そのゆとりはあくまで「余地」にとどめておく事だ。お客が来ることを想定して店頭に立ちつつ、しかし片手間でもいいから別の仕事を行う。それだけで仕事の効率も上がるし、来たる”いざ“に対応する余地も生まれる。一石二鳥だ。

余裕とは、つまりそういうことなのだと思う。

しかしながら、ちょうどいい塩梅というのは何につけてもやはり難しい。この余裕と無駄の境界線も、見極めるのは非常に骨が折れる。けれど、だからこそ、この見極めがきちんと出来るようになれば、きっともっと生きるのが上手になるのではないかと、そんなことを思ってしまう。

 

無駄の多い人生を、余裕のある生き方に変えていきたいものだ。

 

2019.06.10 都内某所にて