『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『好きなもの』とか、『生き甲斐』とか。

PSストアの六月セール、心惹かれるタイトルが多すぎて困る。

 

今日は久しぶりに、一日とことん“好きなもの“囲まれた一日だった。

好きなことをするのは楽しいし、好きな作品にふれるのも英気を養える。ここ数日、今日のために頑張ってきたと言っても過言ではないほど充実した一日だった。

そう言った「好き」を一人で楽しむのも悪くないけれど、同好の士と共に趣味に興じるのもまた一興。他の人の「好き」という感情のパワーに触れると、また自分の熱意も高まるというものだ。今日はそう言った意味でも、非常に充実していたように感じる。

ところで突然だが、貴方の生きる意味とは何かと問われた時、人は一体どんなことを思い浮かべるだろう。

難しい質問だと思う。これが生き甲斐だ!と断言できることは、なかなか思いつくものではないだろう。家族、友人関係、仕事が生き甲斐という人だっているかもしれない。思い浮かべるものは、きっと人によってそれぞれだと思う。

けれど、その生き甲斐に共通するものがあるとすれば、それはきっと「好き」なことであるということであろう。誰しも嫌いなことに、一度しかない人生を捧げたいとは思わないはずだ。私も生きる目的や目標は数あれど、その原動力は何かと問われれば、間違いなく「好きなこと」をあげる。焼き鯖を食ってる瞬間、面白い漫画を読んでる瞬間、友達とゲームをしてる瞬間、可愛いものを愛でてる瞬間。そう言った一つ一つが、私の生きる理由で、原動力だ。

確かにこう言ったことは、人生の意義や目標を前にした時、息抜きや箸休めのようなものでしかないかもしれない。好きなことをしてばかりでは、生きていけないかもしれない。この人間社会を生きていく上で、果たさなければならない責務やこなさなければならない課題なんて山ほどある。

けれど、これは私たちの心のエネルギーだ。それは、誰にも奪う権利のないもの。自分で、確かに守り続けていかなければならないものだ。どんなに忙しくても、辛くても、好きを手放してはいけない。きっと心がガス欠を起こしてしまう。

スケジュール帳の週末の欄に、一つ好きなことに関する予定が入っているだけで、いつもよりずっとやる気が出る。人間、そんなものだ。「好き」のパワーは偉大である。

 

今日も明日も、自分の「好き」に正直に。

 

2019.06.09 都内某所にて