『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『お金』とか、『家計』とか。

昨日はパソコンの不調で記事が投稿出来なかったので、以下は昨日書き上げた記事。

今日のことはまた明日記事にでも起こせればと思う。

 

生活がカツカツで家計簿をつけ始めた。これもiPadを使って。

金遣いは割と荒い方だと思う。なんでもかんでも後先考えずに使っているつもりはないけれど、雑費や交通費など、つい細かい数字を考慮に入れずに大まかな試算を出してしまうため、それに基づいて動くといつも後で痛い目をみる。昔からそうだ。分かってはいるんだが、こういう癖に限って意識してもなかなか治らない。

生きるのには金がかかる。過去に食費についての記事を書いたが、何も食だけがいたずらに高くつくというわけでもない。人間、何をするにも金がかかるのだ。衣食住はもちろんだし、東京に出てきて一人暮らしを始めてからは交通費や水道光熱費だってバカにならない。友人との交際費だってかかるし、趣味にだってもちろん金はかかる。世の中金だ。金がすべてとは言わないが、大半は金だ。

勉強するにも金はかかる。大学などの学費はもちろん、最近気になって調べている資格や検定試験についても、決して安いものではない。もちろんものにもよるけれど、検定料に問題集数冊で一、二万は下らないだろう。国家資格の集中講義などになってくると、数日の講義で数十万から数百万かかるものもあると聞いた。時代が違えば、勉強なんてものはもっとずっと高価なものであったことを考えると贅沢なもの言いなのかもしれないが、それでもやはり高いものは高い。

何事にも金はかかるのだから、やはり節制は大事だ。金は決して湯水のようにあるわけではない。

しかし、節制していれば万事OKかと問われれば、そういうものでもないだろう。お金を出せば、いろいろな経験が買える。それは間違いない。さっき例に出した学習についてもそうだし、様々な作品や文化に触れたり、人と飲みで親睦を深めたりと、お金があった方が出来ることは増える。いや、正しくはお金を使った方が出来ることは増えるのだ。そしてそのかけがえのない経験のためには、人にはときに多少の無理を通してでもお金を使わねばならない場面すらある。

要は金の使いどころを間違えるなと、そういうことだ。間違えまくっている私が偉そうに言える立場ではないと思うが。家計簿は不要な出費がないかを探す作業で、決して必要な出費を削ったりするための行為ではない。

 

適度に節制、適度に散財。

 

2019.05.16 都内某所にて