『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『八月』とか、『振り返り』とか。

帰省してた際の録画番組の消化だけでだいぶ時間を取られてしまった。最近はニュースなども意識して録画するようにしているのだが、本当にいくら時間があっても足りない。24時間365日、いつでも数え切れないほどの局でこうして番組が作られているのだから、なんだか不思議な気分である。

 

夕方、ふと思い立って近所の散歩に出てみると随分涼しくて驚いた。そうか、もう夏も終わりかと、そんな物寂しさを覚えてしまう。

そんなこんなで、八月ももう終わりである。やがて九月が、秋が来てしまう。

今月はなんだか時の流れがあっという間だった。いやまあ毎月こんなことを言っている気もするけれど、それにしたって早かった。暇な時間と忙しい時間とが交互に来て、時間の感覚が少し変になっていたのかもしれない。今も「もう今月終わりなの!?」って脳が混乱している気がする。いや受け入れがたいだけか。

今回も少しこの八月を振り返ってみての所感を綴ってみる。

今月は、一言で言えば「考える」ひと月であった。

夏休みに入り友人たちとの下らない集まりから始まった今月。中旬には高校の頃からの友人が東京に遊びに来て、人と長く一緒に過ごすことの楽しさ、大変さを改めて感じる機会となった。その後の帰省では、嬉しいこと、悲しいこと、驚いたこと、様々な経験の中でたくさんのことを考える時間を持つことができた。家族と語らいあったこと、兄妹と語らいあったこと、友人と語らいあったこと、それらを自分の中で消化する時間は、きっと何者にも代え難い時間であったと、そう感じている。

そして、今。また一人で東京に戻ってきて、私は自分自身のことについて考えている。就活のこと、それからのこと、そのために今できること。目一杯頭をひねってたくさんのことを考えるようにしている。

九月になれば、またいろいろなことが動き出す。インターンなども本格的に始まってくるし、大学も後期の授業がやがてスタートする。大学の友人と集まってやりたいこともたくさんだ。

 

考えて、力を溜めて、また九月からたくさんの目標に、全力で向かっていきたい。

 

2019.08.31 都内某所にて

『実家』とか、『頑張り』とか。

久々の東京の家は、ほかの誰にも気を使わなくていいのでのびのび出来て良い。ただ、ご飯が少し味気ないような気がするのはなんとも。一人というのも良し悪しである。

 

昨日の昼ごろ、ANAの飛行機に二時間ほど揺られ、ようやっと東京に戻ってきた。長々と電車に揺られていると、嫌でも自分は今関東にいるんだなぁと実感させられる。9月半ばにもう一度九州に戻る用事があるが、とりあえずまた三週間ほどこちらで生活を送らねばならない。

結局、地元にいた十日間はあまり生産的とは言えない時間だった。もちろん、楽しくなかったわけでは決してない。久しぶりに会う友人たちとは有意義な時間を過ごすことができたし、家族や親戚にも元気な顔を見せることができた。十日は少し長いかと思っていたけれど、過ぎて見れば本当にあっという間だった。

しかし、それにしたって振り返ってみると実家では本当に何もしていない。コツコツやろうと思って持っていった参考書にはほとんど手をつけられなかったし、このブログの更新頻度も明らかに低かった。パソコンなんて持っていったきり開きすらしなかったし、なんとまあ自堕落なことだろう。情けなくてため息しか出ない。

本当に、実家にいると何も捗らなくなるあの現象は一体何なのだろうか。妙な安心感というか、何もしなくても実家の手伝いさえしていれば許されるような空気感。いかに締まりのない10代を過ごしてきたのか改めて痛感させられてしまう。

家族仲は割といい方だと思う。親戚とも比較的密な関係を維持しているし、家柄には恵まれている方だと思う。けれど、その空気感に自分はいつまでも甘えているのかもしれないと、そういうふうにも感じる。

あの場所は、私がこれまで育ってきた場所で、私のこれまでの成長の思い出がたくさん詰まっている場所だ。そこには大勢に胸を張れるような軌跡もあったと思うし、一方で決して人前では大手を振って語れないような情けない記録もたくさんあった。けれど、その全てをあの場所は受け入れてくれたし、許容してくれた。あそこは私の成長、私の『過程』を受け入れてくれる場所なのだと、そう思う。

もちろんたくさん叱られたし、心配されたし、迷惑もかけた。今だって決して一人前の男として100%信頼されているなんてことは全然ないと思う。けれど、あそこは“私”が“私”であるというだけで肯定してくれる、そんな場所なのだ。

だからこそ、あそこにいてはダメなのだと思う。周囲がどうこうではない。私がダメになる。性根のところで腑抜けた甘えん坊なのだ、私は。

今は大学進学とともに上京し、ここにいる。多分就職も関東近辺でになるだろう。

私はなにかを為すためにここにいるのだ。自分を甘やかせない、この場所に。そのことを、改めて意識する。もちろん自分が一人前などとは微塵も思っていない。今でもいろんな人にたくさんお世話になっている。でも、だからこそ、あの居心地のいい実家を離れて、はるばる数百kmも離れたここ関東に来させてもらっている成果を、少しでも形にしていきたいものだ。

 

今日も、この場所で、私に出来ることを、また一つづつ重ねていこう。

 

2019.08.27 都内某所にて

『旧友』とか、『浪人時代』とか。

地元のジメジメした暑さとの付き合い方の勘もだいぶ戻ってきた。

コツとしては、まず熊本は湿度が高すぎて夜でもまともに涼しくならないので、諦めてクーラーガンガンきかせた部屋に引きこもること。脳死思考停止上等。全部暑さが悪い。私は悪くない。

 

16日に帰省して早一週間。普段なかなか会う機会のない旧友たちと久しぶりに顔を付き合わせて飲む酒はやはり美味い。この時間のためだけにわざわざ地元に戻ってきているようなものだ。

先日は浪人時代の友人たちと肉を焼いてきた。仲の良かった五人のうち二人は都合がつかず、最終的に三人での会合にはなったが、それでも充実した楽しい時間を過ごすことができたように思う。

私以外の四人は医学部志望で、中には夢半ばで諦めざるを得なくなり泣く泣く獣医に進んだ奴や、色々あって早速ダブったような人もいたりはするが、みんなそれぞれ前を向いて自分の道を歩んでいる。彼らと話すと、安心するのと同時に自分も頑張らないとと気が引き締まるような気がする。

浪人していた頃の一年間は、決して煌びやかなものではなかったけれど、一方で決して鬱々としたようなものでもなかった。震度七の地震という最悪のスタートが重なりもしたけれど、あの一年間は私の中で確かに価値ある時間として刻まれている。ありとあらゆるものを排して(いうほど排せてなかったような気もするが)、勉強と向き合う時間は即ち自分自身と、自分自身の中にある甘えと向き合う時間だった。それを飼いならせたかどうかは別として、少なくともそこにそういった腑抜けた部分があることを、嫌という程自覚できた時間だった。甘えた思考、効率の悪さ、きっともっと成長しても消えることのない自身のあれやこれやを、それでもきちんと認知できているかどうかで出来ることはずいぶん増えるのではなかろうか。そういう意味であの一年間は、私にとって確かに意味のある時間であったのだと思う。思いたい。

かつて私と同じように浪人して大学に入った父が、当時のことを「あの時間があるとないとじゃなかった方がもちろん良かったんだろうけど、僕はあの一年を通して確かに多くのことを学んだし、今考えれば掛け替えのない時間だったように思う」と語っていて強く共感を覚えた記憶がある。周囲の人たちからどう見えていたかはよく分からない。頑張れと声をかけて本気で応援してくれる人もいたし、浪人するなんて努力が足りていないと心の何処かで見下していた人もいたことだろう。けれど、あの時間を通して得た経験が、出会った仲間との関係が、確かに私の中に息づいている。それは誰にも否定できない事実だ。

肉を目一杯口の中に詰め込んでいい気分になったあとは、またみんな元の、今の居場所に帰っていく。宮崎、愛媛、そして私は東京へ。今回会えなかった二人も各々の空の下で、夢に向かって頑張っている。

 

いつかあの時間があってよかったと胸を張れるように、また、歩いていくんだ。

 

2019.08.22ちょっと過ぎ 地元九州にて

『帰省』とか、『回顧』とか。

実家の安心感、夏休みの倦怠感、帰省時特有の慌ただしさ、嬉しい知らせ、頭の痛い知らせ、いろいろな条件が重なって、さらに頭の中も何かゴチャゴチャしていて、結局また随分と投稿が空いてしまった。夏休みのようなものだと思って勘弁してほしい、なんて弁明しても、そもそも私は誰に対して弁明しているのかもよくわからなくなるのでやめておこう。

今回は地元で感じたあれこれを、文字におこせそうな範囲でつらつらと綴っていく。

 

改めて、またしばらく投稿期間が空いてしまった。理由はいろいろだが、忙しかったというのはいつも言っているが言い訳としては不十分だろう。忙しくても自分の時間を作っている人というのはいくらでもいる。それに、これは自分自身を高めるための時間だ。それをきちんと確保するというのも自己管理の範疇だと思う。反省。

最近はブログを書こうとしてもあまり捗らないということが増えていたのだが、それにも一応の答えを得た。すなわち、インプットが足りていないのだ。どんな文章を書くにも、やはり自分の中に蓄えた言葉を弄するだけでは限界がある。常に新しい言葉や表現を外から吸収しなければ、瑞々しい文章というものは書けない。その点最近の私は、忙しさに胡座をかいてすっかりインプットの活動を疎かにしていた。これでは書けるものも書けないというのは道理である。

ここ数日は意識的に様々な文章に触れるようにしている。きちんとしたインプット、アウトプットのローテーションを今後も意識していきたい。

夏休みの時間を使って就活の準備を進めるなかでも、このブログの存在意義について少し考える機会ができた。夏休みもやがて半分が終わり、私に残された時間というのはもっとずっと少なくなっていくことだろう。そのなかで使える有限で貴重な時間をあてるに値するような成長を、私はこのブログで得られているのだろうか。正直あまり、実感はない。けれど、やはりコツコツ続けていくべきなのかもしれないとも思う。

先日会食の場で親戚一同と歓談した折、従姉と将来のことについて少し話す機会があった。従姉は既に働いているし結婚もしているしで、人生の先輩といっても過言ではない人だ。

従姉に、最近将来のために文章の勉強をしていることを伝えると、それはいい心がけだと太鼓判を押してもらった。その理由を尋ねたところ、どうやら社会に出るときちんとした文章を書けない人は理系よりも文系の人に多いらしいのだ。というのも、理系の学科を出ている人たちは大学の在学中に論文を執筆する機会が多く、その過程で簡潔で分かりやすい文章を書くよう徹底的に指導されるのだが、逆に文系の人たちはあまり在学中に学術的な論文に触れる機会が少なく、冗長でとりとめのない文章を書く人が多くなりがちらしい。だからこそきちんとした日本語の文章を学ぶことは、決して馬鹿にできないのだと。

それを聞いて、少しは報われるような気持ちになった、無駄ではないと言ってもらえることの、なんと救われることだろう。今後はもっと自信を持ってコツコツとこの活動を続けていかねばと気分を新たにした。

地元に帰ってきて、いろいろな人や物に触れ、またいろいろなことを考えるようになった。書きたいことも少しづつ増えてきたように思う。今日からまた、投稿の頻度を少しずつ高めていこうと思う。

しばらくは不定期投稿になるかもしれないけれど、よければまたお付き合いいただければ幸いである。

 

さあ、また文字を綴っていこう。

 

2019.08.20 地元九州にて

『食』とか、『関心』とか。

生活費の計算している時が人生で一番頭がいいのに、お金を使う時が人生で一番馬鹿だから結局採算合わなくなって死にそうになる。そんな人生。

 

友人が土産に買ってきてくれたらっきょうがあったので、お米を炊いてお酒も用意して、プチらっきょうパーティを決行した。そしたらまあお酒は減る減る、ご飯は無限におかわり出来るしで、知らぬ間にすっかり出来上がったしまっていた。今は上機嫌かつちょっとした気分の悪さを抱えながら、このブログを書いている。お酒は好きだがあまり得意ではないので。

“食”はやはり生きる楽しみの一つだと思う。私の場合、普段はそんなに食事にお金をかける方ではないけれど、それでもたまには豪勢な食事を取りたくなることもあれば、美味しい食事で明日への活力をつけるような場面も多々ある。食は生活の基盤の一部であり、だからこそ質の高い食事は質の高い生活につながるのだ。

好きな食べ物を繰り返し食すというのも悪くないけれど、新しい美味と出会う体験もそれはそれで素晴らしいものだ。今まではあまり良いイメージのなかった食べ物でも、質のいいものを食することでそのイメージが覆るようなこともある。新しい食との出会いは、つまるところ新しい喜びとの邂逅でもある。そんな体験が素晴らしいものでないわけがない。

新しい美味との邂逅の機会は、やはり旅行や普段行かない場所ような場所へ足を伸ばした折に訪れることが多い。出先でふと入った小料理屋のメニューに感銘を受けたり、旅先の郷土料理に舌鼓を打つといった経験は、ただ美味しいものを食べられたという以上の喜びを感じられるし、さらなる旅へのモチベーションにも繋がるものだ。

もちろん、他の人からのお土産を通して新しい美味と出会うこともままある。普段かららっきょうは割と好きだったけれど、鳥取のらっきょうが美味しいことはあまり知らなかった。今回の友人からのお土産で、鳥取へも足を伸ばしてみたいという気持ちが強くなった気がする。食への興味は場所への興味へ少しづつ形を変え、私たちの生活をより一層充実させてくれているような気がしてくるのだ。

 

食への関心を、いつも大事にしていきたい。

 

2019.08.14 都内某所にて

『好き』とか、『多様性』とか。

汗をかきすぎて卸したての服が臭くなったの悲しすぎて泣いてしまう。

 

コミックマーケット、四日間本当にお疲れ様でした。

今年は例年といろいろな点で違っていて、いくつか問題などもあったようではあったけれど、それでもなんとか平穏無事にイベントが終わった事実にまずは胸をなでおろす。私自身は今年は予算や日程の都合であまり会場を回れずサークルの店番をしている時間がほとんどだったけれど、それでも近くのサークルの方々と交流する中で普段聞けないような話を聞けたり、有名なイラストレーターさんや有名人を生で拝むことができたりと非常に充実した時間だったように感じている。一般参加でいろんなサークルを回った友人の話を聞けたのも楽しくて良かった。

しかしコミケのようなイベントに参加するたびに、世の中本当にいろいろな人間がいるものだと、そんな当たり前の事実を改めて痛感させられる。いろいろな趣味嗜好、発想、思想の人間がいると普段から頭で理解はしていても、実際にイベントで生でそういった人たちを観測するとやはり少し動揺してしまう。

コミケは何十万という数の人たちが、自分の『好き』を持ち寄り、共有する場である。その中には、たくさんの人々に受け入れられるような、普遍的でお行儀の良い『好き』もあれば、一部の人たちにだけ深く刺さるような、至極ニッチな『好き』も沢山ある。よくそんな発想に至ったなという『好き』に驚かされることもしばしばだ。

そして、そんな多様な『好き』の中には、時に別の誰かにとっての『嫌い』が含まれていることもままある。いや、むしろそんなことばっかりだ。当たり前のことである。世界中全ての人間に受け入れられるものなんて、どんなに考えても生まれたばかりの子猫の可愛さくらいしか思いつきそうも無い。私の『好き』が誰かに否定されることなんてしょっちゅうだし、逆に誰かの『好き』にちょっとした嫌悪感を覚えることだって日常茶飯事だ。だって、“私”と“貴方”は別々の思考を持って生まれた生き物なのだから。仕方のないことなのである。

コミケはそういう意味で、私たち人間が人という種族の多様性を学ぶ上で絶好の場所であるように私は感じている。『好き』と『嫌い』、人間の欲望と感情がぐるぐると渦を巻いていて、それでも終わってしまえば最高の体験として記憶に昇華されていくこのイベントは、きっと参加者一人一人の人生をより一層濃密な、濃いものに変えていくのではなかろうかと、そんな気がしてやまないのだ。

コミケが底知れぬ魅力を有している理由も、きっとそう言った部分にあるのでは無いかと、そんなことをコミケ帰りの夏の夜に、ふと考えるのである。

 

さて、次の冬のコミケに向けて、また少しずつ自分の『好き』を磨いていきたい。

 

2019.08.12 都内某所にて

『凡庸』とか、『特別』とか。

最近二年越しくらいにポケモンGoを再開したのだが、勝手が分からなさすぎるのと携帯のスペックが残念なのとで、満足にポッチャマも捕まえられないのがもどかしい。けどポケストップ巡りは楽しい。アイテムが溢れる溢れる。

 

コミケにあわせて高校時代の友人が中国地方から東京に遊びに来た。東京は久しぶりらしいので、案内する側にも力が入るというものだ。

今日はその友人たっての希望で一緒に門前仲町を散策したのだが、どうやら彼の普段親しんでいる界隈では門前仲はいわゆる一つの“聖地“らしく、しばしば私には分からないような場所で感動していて非常に興味深かった。

世の中には無数のモノがあり、場所があり、人がいる。それぞれのものにはみな意味があり、価値がある、というのは確かに揺るがぬ事実である。しかしその意味や価値というのも、それを認識する人間によって千変万化に変わっていくものであるというのも、また確かな事実であるのだ。

聖地の概念なんてまずそうだ。一見何の変哲も無い、事実何か特筆すべき特異さを持ち合わせないような場所であっても、一度そこがドラマや映画に登場したり、あるいは誰か有名人のお気に入りの場所として紹介されたりすれば、ひとたびそこはそのコンテンツを親しむ人間にとって『特別』な場所となる。その場の機能的な価値は何一つ変わっていないにも関わらず、だ。

今日の体験も、私にとっては何でも無いような凡庸な場所で友人が感動していたのは、友人にとってその場が『特別』な価値を持っていたからであって、それは共通の認識を持つ相手でなければ通用しない『特別』だった。多分彼と似たような界隈に親しんでいる人間であれば同じく『特別』視されるのだろうし、そうでない人からしたら変わらず凡庸な場所であることだろう。同じ世界でも、見ている人によってその世界の見え方が確実に違っている。私はそれが、たまらなく面白いことだと感じるのだ。

 

私の感じる『特別』を大切に、明日も胸を張って生きたいものである。

 

2018.08.10 都内某所にて