『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『睡眠』とか、『目覚まし』とか。

最近ミストタイプのファブリーズがお気に入りなのだが、使いすぎなのか今日一日中どこにいてもファブリーズの匂いがしていた。

 

先日、iPad用の新しいアラームアプリをインストールしてみた。一人暮らしを始めてからはもっぱらスマホのアラーム機能に頼っていたが、最近どうもマンネリ化してきたなと感じていたところだった。好きな曲が日に日に憎らしくなっていくのも辛くなってきたところだったし、いい機会だったように思う。

新しいアラームアプリだが、いわゆるボイスアラームというやつである。大音量の音楽で目を覚ます朝もそれはそれで悪くないが、人の声で目を覚ます朝というのもなかなかどうしていいものだ。一人暮らしを始めてからは久しく感じていなかった感覚かもしれない。

実家にいた頃は、隣の兄の部屋から響く爆音目覚ましのアラームに目をチカチカさせながら布団から飛び起きる毎日だった。ロングスリーパー体質でほっとけばいくらでも寝ている兄は、朝もあまり強い方ではなかった。そのため兄にあてがわれる目覚まし時計はいつも爆音、さらに小中高と年を重ねるごとにうるさくなっていったような気がする。それでも起きない日はまったく起きないので、痺れを切らした私が兄の部屋に突入して目覚ましを止める、というのがいつもの我が家の朝の光景であった。

目覚まし時計は我々にとってずいぶん身近なものだが、一方で絶対に必要なものでもないので、意外と意識する機会は多くはない。あれば便利、なくても平気なものほど、その使い方一つで随分生活の良し悪しが変わるものだったりするのに。

人間、理想の睡眠時間は7〜8時間であるという。しかし雑多で煩雑な現代社会、なかなか思う通りの睡眠時間を確保するというのは難しい。朝は目覚ましで無理やり起きているという人も多いことだろう。

ならばたまには、アラーム一つ気を使ってみるのもいいかもしれない。きっと、いつもとは違った気分で朝のひと時を過ごせることだろう。

 

どうぞ、素敵な目覚ましで快適な朝を。

 

2019.05.30 都内某所にて