『ゲーム』とか、『思いやり』とか。
好きこそものの上手なれは多分嘘。ソースは俺。
ゲームが好きで普段からいろいろなタイトルに触れているが、総じてあまり上手い方ではない。
先日、家でFPSのゲームをプレイしていたとき、あまりのヌーブさにチームメンバーから「雑魚すぎ。二度とゲームすんな」と激励のメッセージをいただいた。あまりに熱のこもった文章に涙の出る想いだった。
たしかにチームプレイのゲームにおいて味方のプレイが原因で負けてしまったりしたら、文句の一つも言いたくなる気持ちはわかる。特にそれがランクやレートに関わるような試合であればなおさらだ。しかしゲームをやめろとまで言われると少しカチンと来る。うるせえお前がやめろと文句の一つも言いたくなってしまう。いけないいけない。争いは争いしか生まないのだ。
昨今、eスポーツという言葉をよく聞くようになった。「エレクトロニック・スポーツ(electronic sports)」の略称であるこの単語は、コンピューターゲームやテレビゲームなどを用いた競技性の高いゲームのことを指す言葉で、2022年のアジア競技大会をはじめとして、近年は国際大会の競技としてもeスポーツを採用する動きが高まっている。
元のサッカーや野球がきっとそうであったように、はじめは娯楽として生み出されたテレビゲームもやがては競技性を高め、市民権を得て、今では立派にスポーツの仲間入りを果たした。素晴らしいことだ。
そして、スポーツマンシップという言葉があるように、ゲームにもやはりお互いを尊重しあう気持ちが欠けてはならないと、そう感じるのである。
スポーツだからどうこうと固い話を抜きにしても、やはりゲームは楽しくやりたいものだ。
ゲームは、平たく言えば広義のコミュニケーションツールである。私もよく友人や後輩とゲームで交流を深めているが、楽しみながらも互いの性格が少しずつ分かって面白い。普段はちゃらんぽらんに見えるけれど、ゲームでは意外と堅実に技術を積み重ねているというタイプもいるし、普段と同じく常に起死回生の一撃に賭けて気持ち良くなるタイプの奴もいる。なんなら何度注意しても煽り散らしてくるバカもいる。大概にしとけ?
コミュニケーションなのだから、そこにはやはり配慮であったり思いやりであったりといった、お互いを想い合う気持ちが必要だ。オンラインゲームであっても、それは変わらない。画面の向こうにいる対戦相手やチームメイトを想う気持ちが、ゲームをより質の高いコミュニケーションへと昇華させる。
これからよりeスポーツが普及していくであろう現代に生きる身として、eスポーツマンシップに溢れた人間になりたいと、そう思う今日この頃だ。
2019.04.22 都内某所にて