『備忘録』だとか、『日記』だとか。

日々のあれこれを記録する自己満足日記帳

『時間』とか、『成果』とか。

今日はサークルの合宿で箱根に来ているのだが、いろいろ足りないものがあってその買い出しだけで一日が終わってしまった。事前の準備はやはり大事である。教訓教訓。明日は目一杯楽しむぞ。

 

最近何をしていても一日があっという間に過ぎてしまうので、気持ちが折れそうになることがままある。日々の積み重ねだと頭で理解はしていても、少しも前に進んでいる実感がない。浪人していた頃を思い出して、悪戯に焦燥感にかられてしまう。

けれど、やっぱり、そうは言っても積み重ねなのだ。どんなに実感を得られなくても、そこはだましだましやっていくしかない。

先日、ふと思い立って夜の散歩に出かけた。最近は夜間散歩するのに丁度良い気候で、お散歩好きには有難い。

どこを散歩しようか考えて、久しぶりに二年前まで住んでいた寮の近くをふらついてみることにした。基本は住宅街なのであまり明るい道ではないけれど、思い入れのある道なのでたまには良いかもしれない。

歩いてみて、なんだか随分新鮮な感じがした。今住んでいるところからはそう離れていないのに、そういえばもう一年近くこの辺りには来ていなかった気がする。人間どんなに簡単なことでも、やろうと腰を上げなければなかなかやらないものである。

しかし本当に懐かしい道だ。二年前、よく夕食のあとに近所のセブンまで散歩がてら出かけていたのが懐かしい。そのあと友人の部屋に転がり込んで、朝まで下らないおしゃべりをしていたことが、もう随分昔のことのように感じる。よく夜間にコーラを買っていた自販機、不思議なくらい壁一面に蔦の生い茂った近所のカフェ、いつも店先におばちゃんの佇んでいる日用品店。変わっていないところは本当に変わっていない。

けれど、一年前と確実に変わったところもある。寮の裏手の空き地に、知らぬうちに随分綺麗なマンションが出来ていたのだ。

私はそれを見つけた時、頭を殴られたような衝撃を覚えたことを覚えている。それは確かに一年前には存在しなかったもの。確実に、この一年で作り上げられたものだった。

一年の月日の長さを、痛切に思い知らされる経験だった。一年という月日があれば、これだけのことが出来るのだとありありと見せつけられたのである。

一年という時間は、一日という時間が365個積み重なったものだ。一日という時間は、一時間という時間が24個積み重なったものだ。決してその場その場で急に現れてくるものではない。

だからこそ、やはり小さくとも日々の積み重ねはバカにできないのだと、そうその新築のマンションに言われている気がした。

 

やっぱり、日々の積み重ねだ。目を背けてはダメ。一歩一歩進んでいこう。

 

2019.09.02 箱根湯元にて