『当たり前』とか、『"今”という時間』とか。
電気が止まった。
急なことで驚いた。真昼間の出来事だったので停電ってこともないだろうに、、、とあれこれ考えていたが、どうやら普通に電気を止められていたらしい。
そういや先々月の電気代払うのすっかり忘れてたような、と冷や汗をかきながら東京電力のサポートセンターに電話をかけると、案の定。慌ててコンビニで未納の電気料金を支払って事なきを得た。
しかし電気が止まるというのは、思っていたより動揺する。電灯はもちろん、冷蔵庫やWi-Fiまで止まってしまう。当たり前のようにスマホで電力会社に連絡を入れたが、これだって充電が切れていたら使えなかった。電気のない部屋では、何もできない無力な自分が浮上してくる。
あの時だってそうだった。昨日でちょうど三年を迎えた熊本地震。ショートなどによる火事の危険性から、自宅では安全が確認できるまでうかつに電気も使えない状態で、余震の恐怖におびえながら、私に出来ることなんて微々たるものだった。近所の学校の体育館で、大丈夫だよと祖母を励まし、心配ないよと祖母に励まされ、ブルーシートの番をしているだけ。幸いあの時も携帯は使えたけれど、情報が錯綜していたし、友人と連絡を取り合うだけで精いっぱいだったような気がする。仔細な状況はもう、あまり覚えてはいないが。
昨日テレビの特番を見ながら感じたのは、もう三年も前のことかという驚き。そんな自分に、また少し驚く。多くの当たり前を瓦解させたあの日の経験の記憶は、しかし今という時間の中にとけて少しずつ薄れていく。
三年という月日は、やはり長い。半壊の判定を受け一から建て直しを余儀なくされた祖母の実家は、来月にはやがて再び竣工というところまできた。母校の高校の校庭からも、とうとうプレハブ建築の仮校舎が撤去されたらしい。あの日の爪痕が、少しずつ癒えていく。
昨日やっていた特番で、震災で最も被害の大きかった益城町のある子供が、当時のことを『テレビを見たら思い出したりもする』と語っていた。良いことだ、と思った。きっかけがなければ思い出せないほど、過去の出来事として消化されているということだろう。少なくとも私は、それが悪いこととは思わない。
もちろん癒えない傷もたくさんある。家族を亡くした人もいる。家を失った人もいる。今も仮設住宅に住んでいる人だっているだろう。
けれど、過去を前向きに清算するすることで、人は"今"という時間を生きていける。
ある歌の歌詞に『未来向きの今』というフレーズがある。今という時間は、指向性のある概念だ。未来に向かって生きる人々の、なんと尊いことだろう。誰にもそれを咎める権利はない。
大事なことは、忘れないことだ。復興が進んでも、記憶から薄れても、あの日の出来事は決して風化しない。あの日学んだ経験は、今も私の中に息づいている。
『当たり前』に感謝して、明日も生きていこう。
2019.04.15 都内某所にて